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■ Andrea Babichさんのインタビュー
昨年(2004年)にイタリアのAndrea Babichさんよりメールによるインタビューを受け、記事が雑誌に掲載済になった事もあり、サイトの2周年記念として載せる事にしました。
質問は、イタリア語を日本語に翻訳したものです。
1) Turu 様のビデオゲームの世界の冒険はどういうふうに始まったのですか。何を
担当していて、ビデオゲームの世界に出世しましたか。
大学生2年と3年生の間の春休みに、テーカンという会社が業務用ビデオゲームの作画担当をバイトで募集しており、それに応募したのが始まりです。
テーカンは後にテクモと社名を変えました。
プロジェクト中に作画担当だったのですがゲームの企画を考える機会があり、プロジェクト終了後もそのまま作画兼企画というスタンスでバイトを続け、大学卒業と同時にテーカンに入社しました。
おそらく今では考えられない入社ルートだと思います。
2) 「ガズラー」というゲームはゲームデザイナーとしての初計画でした。「ガズラ
ー」はUniversal社の方針に従って「ミスタードゥ」と同じようにクラシックなゲ
ームデザインの計画でしたよね。テーカン社のソフトウエアハウスの依頼の基であ
ーいうようなデザインをしたのか、又は自分の好みであんなデザインが出来上がっ
たのでしょうか。
当時のテーカンでは比較的自由に企画内容を考える時間があり、水を吐いて火を消すという主人公のゲームを考え、それを上司の上田和敏さんとともに膨らませていきました。
会社からの依頼という形ではなく、企画者が自発的に発案していったケースに当たると思います。
3) ゲームの主役は単語の「ガズラー」 の文字を照らせます。多くの他のゲームと
違って、文字は時間の徹底的に照らすわけではなく、登場人物の画面の位置によっ
て照らせます。それはプレーヤーにより大きい制御を与えるのためだったのでしょ
うか。
すっかり忘れていました。
火の消し方で、文字がそろうというフィーチャーだったと思います。
もしかしたら、記憶違いかもしれません。
上司の上田和敏さんがピンボール好きで、ピンボールのフィーチャーをモチーフにしたと思います。
4) それから「ボンジャック」が発売されました。イタリアだけではなく、欧州の
様々の国では 「魔界村」と「マリオブラザーズ」と同じレベルの傑作だと思われて
います。開発チームは何人でしたか。あんなすごいゲームを制作していたのかを意
識していたのでしょうか。
作っている当時はそれほどの評価をいただくゲームを作っているという自覚はチーム内に無かったと思います。
企画3名、プログラマ1名、グラフィカ1名、サウンド1名のチームです。
スフィンクスの背景画像は、グラフィッカではなくサウンドを担当した益子さんが作成したものでした。
ボンジャックが名作なのは、私の手柄ではなく上田さんのゲームセンスのおかげだと考えています。
5) 「ボンジャック」のオリジナルな点は制御システムにあります。そういう制御シ
ステムは固定画面タイプのアクションゲーム、ターゲットクリア型のゲームには珍
しいことだと思われています。ジャックは飛び、そしてゆっくり飛び降りるため、
連打にボタンを押すべきです。どういうふうにあの提案が生まれたのでしょうか。
最初にもボンジャックが重力力を関わらず、自由に飛べることができていたのでし
ょうか。
初めは床で弾むボールで比較的重力落下を忠実にシミュレートしたもので、空中でジャンプボタンを押すと、ボールがつぶれ落下スピードがやや遅くなるというものでした。
非常に操作が難しかったのを覚えています。
そこで、落下スピードが一定速度になると、それ以上加速しないようにして、空中でジャンプボタンを押すと、そこでスピードが0になるという形に変更になりました。
こうしてボンジャックは比較的自由に空を飛ぶ事ができるようになったのです。
6) その後、「サイキック5」と「スーパーマリオブラザーズ3」を始めとして、多
くのゲームは「ボンジャック」と同じような飛行の技術をコピーしました。自慢に
していると思いますが、そうでしょうか。
質問5の初回の操作方法からの改変は、主に上田さんが行ったものですから、私が自慢する事ではありません。
また、当時のゲーム業界ではあるアイディアをより優れた形に手直ししていく事は、容認されている雰囲気がありました。
こまかな映像表現さえ特許化され、アイディアを実現する事がより難しくなって行っている現在とはかなり異なっています。
7) 50000 ポイントのボーナスを得るためにそれは順に爆弾を集める考えについて
ですが、爆弾の最適のありかを調整するのが難しかったですか。
爆弾の位置を修正したり、敵のパラメータを修正したり、そして、会社のスタッフでテストプレイをして、その結果を見て、再度、爆弾の位置を手直ししたりとその繰り返しでした。
8) [シティコネクション]みたいに「ボンジャック」は「ツーリスト・ゲーム」とい
う背景には有名な町とか綺麗なモニュメントが表示されるゲームでした。どういう
ふうに景色と都市を選んだのでしょうか。
業務用のビデオゲームは、ぱっと見た瞬間にお客さんの目を引く事を求められます。
そこで、世界各地の奇麗なそして目を見張る様な光景を選んで設定しました。
9) プレーヤー全員は「ボンジャック」の最初の3つのレベルの場面はスフィンクス
とパルテノンとノイシュヴァンシュタイン城tだと分かっていますが、第4番目と第
5番目のレベルのロケーションは何でしょうか。
すみません、忘れています。
確かどこかの夜景があったのではと、おぼろげに覚えているのですが。
10) キャラクター・デザインを担当の人は誰だったのでしょうか。
グラフィックを担当した石塚理恵さんです。
11) 「ボンジャック」のサウンド・トラックの中には、ポップ音楽のBeatles の
Lady MadonnaとアニメのSpoon のおばさんがありました。どうしてその歌を選んだ
のでしょうか。歌の権利権も支払わなければならなかったですか。
何故選んだかは覚えていませんが、歌の権利料は払いました。
業務用は家庭用に比べ商品単価が高いので、特に問題になりませんでした。
12) ウエブ・サイトには「ボンジャック」が欧州ですごく有名なのは上田さんのお
蔭だと書きましたよね、上田さんって誰でしょうか。
この回答で度々登場していますが、改めて説明しますと、ユニバーサルでミスター・ドゥを作った方です。上田和敏さんです。
後にテクモを辞めアトラスで女神転生シリーズを手がけました。
私の仕様書が細かいのもこの上田流だと思っています。
13) 「ボンジャック」と違って、[ソロモンの鍵]というゲームはイタリアのゲー
ム・センターには余り普及されなかったのです。しかし[ソロモンの鍵]が好きなプ
レーヤーは半端じゃない[ソロモンの鍵]が大好きです。[ソロモンの鍵] については
どう思いますか。
ご質問の通り「ソロモンの鍵」は業務用ではあまりぱっとしませんでした。
しかし、基本的なコンセプトだけでなくゲームを通して自分のオリジナルゲームを作っているという自覚がありました。
鶴田オリジナルゲーム一号というような記述を仕様書の扉に書いた覚えがあります。
それが元で折り鶴のキャラクターが登場するわけですが。
上田さんがテクモをお辞めになってからも制作が続いた事もあるかと思いますが、自分なりの作り方ができたと思います。
14) [ソロモンの鍵]というゲームは最後のアーケードゲームで、それと同時に最初
のファミコンでしたね。その時にゲーム・センターでプレーされていたゲームと違
うゲームを作ろうというつもりでした。[ソロモンの鍵]というのはゲーム・センタ
ーかコンソールかどっちかに向いていると思っていますか。
これは難しい質問です。
操作を入力する機械の優劣は、プレイヤーが感じる物だと思います。
「ソロモンの鍵」は、業務用として作り出したため、私自身はレバー操作が合っていると思っています。
15) ダナという強力な主役はゲームの地図にすごく大事な存在でした。ダナは地図
のブロックを組み立てたり、破壊したりできていた登場人物でした。ゲームの他の
要素とバランスをとることが難しかったのでしょうか。
初め敵を倒す事を目的としたゲームとしても考えていたのですが、ダーナの能力が高いため、それを追いつめる敵をバランス良く作るのは難しかったと覚えています。
最後は鍵を取って扉に向かうという事を目的としたパズルゲームに落ち着いたため、障害物としての敵になりました。
業務用に登場するスライムや魔道士は、ダーナと戦う敵として作成されたものです。
敵と戦うという土壌を持ったゲームに、パズル性を加えた事で多様な遊びのできる「ソロモンの鍵」が生まれたのだと思います。
16) [ソロモンの鍵]は多くの様々なゲームのジャンルを結合していた: アクション
とパッズルとRPG(例えば宝の探求とGDVなど)。しかし、その次のゲームは[ピッ
トマン]と[ソロモンの鍵2]というような一つの特別なジャンルに向けている感じが
します。どうしてでしょうか。
実はPC用のゲームのピットマン見つけて某会社に持ち込んだのは私です。
そこで、ピットマンの手法でパズルゲームが作れないかと考え、氷を出し消しする主人公を考えて、テクモに持ち込んだのでした。
「ソロモンの鍵2」は、はじめ「アイスキッド」と呼ばれるゲームとして開発され、後にソロモンシリーズに加えられたのです。
そのため、ソロモンの鍵と2は似て異なるゲームとなっています。
2は純粋にパズルゲームとして作られていますから、アクション性を求めたプレイヤーからは不評だったようです。
結果、販売数がふるわず今では中古市場で高値をつけているそうです。
皮肉な運命です。
17) Turu様は「ボンジャック」と[ソロモンの鍵]の次に発売された[マイティボン
ジャック]とGame Boy Color への[ソロモン]というゲームへは全然貢献しなかった
んでよね。そのゲームについてはどう思っていますか。Turu様の発見したこととオ
リジナルな提案はそのゲームに付加して、ゲーム自体が富むことができたと思って
いますか。
マイティボンジャックは、面白いゲームだと思っています。
あの当時のROM容量からは考えられないくらいのアイディアとギミックが盛り込まれたと思っています。
Game Boy Color の[ソロモン]というのは、モンスターファームの事でしょうか?
そうだとして話しを進めます。
こっそりテクモブースに行った時、スタッフの方が説明してくださいました。「あ、それは敵じゃありません。取ってください」『なんだ、妖精なのかコレ』
全寮制の中学校に入れた子供が大きくなって、その子供と再会した様な妙な気分でした。
18) 最近のTuru様の傑作の[自動車王]についてですが、どういうふうにビデオゲー
ムに対して変わったのでしょうか。
ネットワークで接続する事が常識化した今とスタンドアロンで遊ぶ事しかなかった昔とでは、遊び方の違いの着地点を見つけるのに苦労しました。
ほとんど手探りの状態で作ったため、見通しの悪い開発になってしまいました。
自動車王もソロモンの鍵に似て、好きな人は異常に好きというゲームに仕上がっています。
注釈) 自動車王は2005/5/31でサービスを終了しました。